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滑空するという意味のグライドというニックネームをもつ
NBAレジェンドであるクライド・ドレクスラー。
絶頂期は東のジョーダン、西のドレクスラーと言われ
1992年NBAファイナルでは実際にジョーダンとマッチアップしました。
当時、トレイルブレイザーズに所属していたドレクスラーでしたが
ジョーダン率いるブルズに敗れ、優勝することはできませんでしたよね。
のちにロケッツに移籍し、学生時代にチームメイトだった
アキーム・オラジュワンとコンビを組み念願のチャンピオンリングを獲得しました。
今回はクライド・ドレクスラーについてまとめていきたいともいます。
ハイライト動画も貼っていますので、ゆっくりとご覧ください!
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もくじ (クリックで移動します)
ドレクスラーのプロフィールや経歴は?
まずは簡単にドレクスラーのプロフィールを紹介しましょう。
フルネーム:クライド・オースティン・ドレクスラー
ニックネーム:クライド・ザ・グライド
生年月日:1962年6月22日
出身地:ルイジアナ州ニューオーリンズ
身長:201cm
体重:95kg
ポジション:SG
NBAドラフト:1983年1巡目14位でトレイルブレイザーズより指名
チーム遍歴
1983-1995:ポートランド・トレイルブレイザーズ
1995-1998:ヒューストン・ロケッツ
ドレクスラーのバスケ遍歴 ~高校から大学まで~
ドレクスラーはヒューストンにあるロス・スターリング・ハイスクールに通っていて
2年生の時に野球ではメンバーに選ばれたものの、バスケットボールでは
チームのメンバーに選出されなかったそうです。
この辺はジョーダンに似ていますよね。
しかし3年生で198㎝のセンタープレイヤーとして頭角を現し出したドレクスラーは
1979年のクリスマス・トーナメントでのシャープタウン高校との一戦で
34得点、27リバウンドを記録し、様々なカレッジのコーチの注目を引きます。
1980年に高校を卒業したドレクスラーは
の3校から誘いを受けました。
ヒューストン大学はもともとドレクスラーに興味がなかったそうですが
彼と幼少時代からの友人であるマイケル・ヤングの
『ドレクスラーは高校でマッチアップした中でベストプレイヤーだ』
という言葉を聞き、獲得に動きました。
ドレクスラー自身もヤングとのフレンドシップ、
故郷に残りたいという想いからヒューストン大学を選択。
当時はヒューストン大学のサポーターからドレクスラーを獲得したことに対して
批判の声もあったようですが、大学2年生の時にはすでにNBAの各チームが注目するような選手に成長していました。
そんなドレクスラーとオラジュワンを擁した当時のヒューストン大のメンバーは
ファイ・スラマ・ジャマと呼ばれるアクロバティックなダンク集団でした。
ドレクスラーとアキーム・オラジュワンの所属した期間
ヒューストン大学はNCAAで素晴らしい成績を収めています。
ただ優勝には縁がなく、1981年はNCAAファイナル4に進出するもマイケル・ジョーダンのいたノースカロライナ大に敗北。
1982年には優勝候補としてNCAAファイナルに進出しましたが敗退。
1983年もファイナル4に進出したものの、パトリック・ユーイングを擁したジョージタウン大に負けています。
ドレクスラーのNBAでの活躍!ジョーダンと比較された?
1983年のNBAドラフトにて1巡目14位でブレーザーズから指名を受けNBA入りを果たします。
ドレクスラーのルーキーシーズンのスタッツは
17.2分間の出場でわずか7.7得点というものでした。
2年目となる1984–85シーズンはドレクスラーのブレイクポイントとなりました。
31.9分の出場時間で17.2得点、6.0リバウンド、5.5アシスト、2.2スティールを記録。
2年目以降、ブレイザーズはドレクスラーのチームとなり
1989-90シーズンにはNBAファイナルに進出。
しかしバッドボーイズと呼ばれたピストンズに1勝4敗で敗退。
1991-92シーズンにもファイナルに進出するも
今度はジョーダン率いるブルズに破れ、念願のチャンピオンリングを
手に入れることはできませんでした。
この辺りがドレクスラーがキャリアで最も高いパフォーマンスを示していた時期でしょうね。
当時は東のジョーダン、西のドレクスラーと言われるほどでしたから。
ファイナルでのジョーダンとのマッチアップでも
ジョーダンに引けを取らないプレイをしていましたよね!
年齢も近く、同じSGというポジションで
両者とも優れた身体能力を持ち、チームを引っ張ているということで
ドレクスラーは常にジョーダンと比較されていました。
また’92年にはUSAドリームチームの一員として
バルセロナ五輪で金メダルを獲得。
1994-95シーズン、ドレクスラーはチャンピオンリングを求めて
ヒューストン・ロケッツに電撃移籍をしました。
ロケッツのエースは大学時代のチームメイトでもあるアキーム・オラジュワン。
前年度のNBA覇者であるロケッツはチャンピオンチームでありながら
ウェスタンカンファレンス6位でプレイオフ出場と優勝候補とは言い難い状況でした。
しかしドレクスラーの活躍もあり、あれよあれよという間にジャズ、サンズ、スパーズを破り、NBAファイナルに進出。
ファイナルではシャック、ペニー・ハーダウェイを擁し、勢いにのっていたマジックをスィープし
ドレクスラーはついに念願のチャンピオンリングを獲得。
大学時代から手が届きそうで届かなかった悲願の優勝だったのでドレクスラーも嬉しかったでしょうね!
そしてドレクスラーは1997-98シーズン終了後に引退しました。
ドレクスラーのプレイを動画でチェック!
早速、ドレクスラーのキャリアハイライト動画をみてみましょう!
ドレクスラーのダンクは華麗さがありますよね!
動画最後のダンクシーンは有名ですが、フリースローラインから
一歩入ったくらいの距離から踏み切っていましたからね。
レーンアップに近いダンクをゲーム中にやったのはドレクスラーくらいじゃないでしょうか?
華麗なダンクをするプレイヤーでしたが、何となく地味な印象があるので玄人受けする選手でしたね。
でもNBAを代表する名プレイヤーであることは間違いありません!
以上、クライド・ドレクスラーについてまとめました。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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