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2013年に18シーズンにわたるNBAキャリアに
終止符を打ったグラント・ヒル。
1994年のNBAドラフトで
に次いで全体3位でデトロイト・ピストンズから指名を受け
そのシーズンでキッドと共に新人王に輝いたヒルですが
怪我がなければ彼のキャリアはもっと光り輝くものに
なっていたかもしれません。
今回はグラント・ヒルについてまとめていきたいと思います。
ヒルのキャリアハイライト動画も載せてありますので
ゆっくりとご覧ください。
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もくじ (クリックで移動します)
グラント・ヒルのプロフィールやバスケキャリアは?
まずはヒルのプロフィールやカレッジでの輝かしいキャリアを
中心にチェックして行きましょう。
グラント・ヒルのプロフィール
生年月日:1972年10月5日
出身地:テキサス州、ダラス
身長:203㎝
体重:102㎏
ポジション:SF
出身高校:サウスレイクス高校(バージニア州レストン)
カレッジ:デューク大(1990-1994)
ドラフト:1994年NBAドラフト1巡目全体3位(デトロイト・ピストンズ)
NBAキャリア:
1994年~2000年―ピストンズ
2000年~2007年―マジック
2007年~2012年―サンズ
2012年=2013年―クリッパーズ
NBAオールスター7回出場
オールNBAファーストチーム1回選出
オールNBAセカンドチーム4回選出
新人王受賞(ジェイソン・キッドと共に受賞)
NBAスポーツマンシップ賞3回受賞
グラント・ヒルのカレッジでのキャリア
ヒルの父親は元NFL選手(ランニングバック)だったカルビン・ヒル。
裕福な家庭で育ったヒルはいいとこの
お坊ちゃんっていうイメージがあります。
ちなみに父親のカルビンも1969年に
NFLで新人賞を獲得していますね。
高校の時にはスター選手として名の知れた存在だったヒルは
デューク大に進学し、1年生、2年生の時にNCAAトーナメントで
2連覇を達成します。
当時、チームのエースはクリスチャン・レイトナーでしたね。
1992年のNCAAトーナメント決勝戦
デュークvsケンタッキーの1戦は歴史に残る1戦でした。
試合時間残り2.1秒でデュークが1点を追う場面。
ヒルはコートエンドからインバウンドパスを入れます。
距離にして約23mのタッチダウンパス。
これを受け取ったレイトナーがブザービーターを決め、
104-103でケンタッキー大を破るという熱戦でした。
そのシーンを動画で見てみましょう。
ヒルは4年生の時にもNCAAファイナルまで進出しますが
アーカンソー大に敗れ、準優勝にとどまりました。
グラント・ヒルのNBAキャリア
カレッジ時代からピストンズ時代のヒルは
まさに最強のオールラウンダーの一人でした。
また非常に頭の良い選手でしたよね。
グラント・ヒルのデトロイト・ピストンズ時代
チームの最多得点、最多リバウンド、最多アシストが
ヒルだったっていうゲームも多くありましたよね。
新人王、オールスターのファン投票で1位を獲得したりと
人気、実力ともに文句のつけようがなく、
当時オーランド・マジックに所属したアンファニー・ハーダウェイとともに
ジョーダン引退後(一度目の引退ですね)NBAを引っ張っていく存在になると
誰もが信じていたと思います。
ピストンズに所属した最後のシーズンでは
1試合平均25.8得点を記録しました。
個人的には素晴らしい成績を残していたものの
チームとしてのピストンズはプレーオフ進出が
精一杯という状況。
ヒルはFAとなりマジックへ移籍しました。
グラント・ヒルのオーランド・マジック時代
同時期にラプターズからマジックへ移籍してきた
トレイシー・マクグレディと共にチャンピオンリング獲得を
目指すはずのヒルでしたが、移籍直後に足首を骨折。
マジックでの1年目はわずか4試合の出場にとどまりました。
ヒルはこの足首の怪我に悩まされ2年目、3年目も
それぞれ14試合、29試合しか出場できませんでした。
さらに2003年3月に足首を手術した際
MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)に
感染したこともありマジック4年目のシーズンは全休。
下の画像は引退後、TV番組で見せた足首の手術跡です。
皮肉にもヒルが全休した2003-04シーズンで
古巣のピストンズがNBAチャンピオンに輝きました。
28歳~31歳までの4年間まともにプレイできなかったことは
ヒルとファンにとって非常に残念な出来事でした。
この年齢はバスケ選手として総合的にみてピーク時期だといえますからね。
しかしヒルは2004-05シーズンで67試合に出場し
アベレージで20得点近いスタッツを記録し見事に復活します。
ところが翌年にはヘルニアの為、21試合しか出場できず。
2006–07シーズンにはスターターとして復帰しましたが
かつてのような動きのキレがなくなりました。
FAとなった2007年にサンズに移籍。
グラント・ヒルのフェニックス・サンズ時代
サンズではスターターとしてコンスタントにゲームに出て
ベテランらしい活躍をみせてくれましたね。
サンズ時代、5シーズンでのヒルのスタッツは
12得点、4.6リバウンド、2.5アシストというものでした。
グラント・ヒルのLAクリッパーズ時代
サンズのとの契約が切れた2012年にヒルは
MIAヒート
LAクリッパーズ
LAレイカーズ
NYニックス
OKCサンダー
など複数のチームからオファーをもらい
最終的にクリッパーズに移籍しました。
クリッパーズでは29試合の出場のとどまり
1試合平均3.2得点、1.7リバウンド、0.9アシスト
という少し寂しいスタッツでした。
それでもベテランとしてクリッパーズ初のディビジョン優勝に
貢献したと個人的には思っています。
しかしヒルの外見はカレッジ時代から変わりませんね~。
現在も当時と変わらない体型ですしね。(笑)
グラント・ヒルの凄さが分かるエピソード
1996-97シーズンのMVPレースで
マイケル・ジョーダン
カール・マローン
の2人に次いで3番目に多い票を獲得。
この年のヒルのスタッツは
21.4得点、9.0リバウンド、7.3アシスト、1.8スティール。
このシーズン中、ヒルが記録したトリプルダブルは13回。
もちろんオールNBAファーストチームにも選出されました。
ピストンズ時代のヒルのオールラウンダーさを物語るスタッツがあります。
彼は3シーズンにわたり得点、リバウンド、アシストの3部門で
チーム1位のスタッツをマーク。
これがどれだけすごい記録かというと
同じ記録を達成したのは長いNBAの歴史を見ても
ウィルト・チェンバレンとグラント・ヒルだけ。
バスケIQも高く、パスも上手かったヒルは
1995~1999年までの4シーズンに渡り
ガード以外のプレイヤーとしてアシスト1位を記録しています。
怪我さえなければ、ピストンズから移籍しなければ
ヒルはNBAチャンピオンとなれたかもしれませんよね。
それではグラント・ヒルのキャリアハイライト動画を見てみましょう!
フィラのバッシュ!グラント・ヒルモデルが懐かしい!
ヒルがNBA入りした1994年、NBAプレイヤーの履くバッシュは
現在同様ナイキが最も多くのシェアを占めていました。
FILAのバッシュはそれまで見たことがなかったのですが
ヒルはFILAと契約しシグニチャーモデルも販売されました。
かくいう管理人もヒル2を所有していました。
かなり昔なんで履き心地とかは忘れてしまいましたが
結構クッションも良かったと思います。
(かなりうる覚えですが…)
今でも復刻版が買えるのでチェックしてみてください。
まずは95モデル!
楽天で見つけましたが5000円は安いですよね!
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続いて96モデル!
こちらはちょっとお高めですね。
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現在、ヒルはNBA TVのアナリストとして活躍して
います。
YouTubeでもアナリストのヒルが見れますのでチェックしてみてください。
非常に聞きやすい英語で分かりやすく解説していますよ!
ちなみに元ピストンズのレジェンド、アイザイア・トーマスも聞きやすい喋り方です。
以上、グラント・ヒルについてまとめました。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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