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トレイシー・マクグレディといえば身体能力が非常に高く
『何でも屋』と言えるほど
全てのプレイをこなすことができました。
また、ケビン・デュラントが憧れたプレイヤーでもあります。
今回はT-macことトレイシー・マクグレディが
ヒューストン・ロケッツ時代に起こした
歴史に残る奇跡の大逆転劇を紹介します。
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もくじ (クリックで移動します)
トレイシー・マクグレディのプロフィール
フルネーム:Tracy Lamar McGrady Jr.
ニックネーム:T-MAC
生年月日:1979年5月24日
出身地:フロリダ州バートウ
身長:203cm
体重:101kg
ポジション:SG/SF
背番号:1
ドラフト:1997年 1巡9位(トロント・ラプターズ)
偶然にも先日、紹介したラプターズの
デマー・デローザンと同じ順位で指名されています。(笑)
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デローザンの身体能力がヤバい!ワークアウトもチェック!
マクグレディは高校生時代、バスケと野球の二足のワラジを履いていました。
オーバーンデール高校で3年間を過ごした後、ノースカロライナ州の
マウント・ジオン・クリスチャン・アカデミー高校に転向。
マクグレディは高校時代から名の通ったバスケットボールプレイヤーで
USA today『高校生年間最優秀選手』にも選出されています。
そして高卒後すぐにNBA入りを果たします。
ラプターズでは従兄のビンス・カーターとのコンビで観客を魅了しましたが
カーターに次ぐ第二オプションのポジションを受け入れることができず
エースとしてのプレイを希望したマクグレディは2000年オフにマジックへ移籍。
この移籍後、マクグレディの才能が一気に開花しました。
2002-03シーズン、2003-04シーズンと2年連続で得点王に輝きます。
2003-04シーズン終了後にマクグレディはロケッツへ移籍します。
しかしこの頃から持病の腰痛が慢性化してしまい
マクグレディは本来のパフォーマンスを発揮できないように…。
さらに2008年5月には左肩と左膝の内視鏡手術、
2009年2月に再び左膝の手術を受け、欠場も多くなっていきます。
マクグレディ全盛期のトップ10プレイ
バックボードを使ったワンマンアリウープを
ゲーム中にするなんてえげつないですよね。(笑)
2010年以降はチームを転々と渡り歩きます。
マクグレディは怪我さえなければもっと長く
NBAで輝き続けたプレイヤーだったでしょうね。
マジック時代の背番号1を見ていると
同じく怪我で絶頂期の短かった
ペニー・ハーダウェイと重なりますよね。
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2013年8月16日、マクグレディはNBAからの引退を発表しました。
引退後プロ野球選手に転向し投手としてプレイしたマクグレディ。
関連記事はコチラ→T-MACがプロ野球投手に転向?スライダーが得意!
トレイシー・マクグレディ 奇跡の大逆転劇!
数々のスーパープレイでファンを魅了したマクグレディですが
彼が起こした最大の奇跡は間違いなくこのゲーム。
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・Tマックの35秒で13得点の大逆転劇をモノマネ兄ちゃんが再現
2004年12月9日に行われたサンアントニオ・スパーズ戦。
ロケッツは試合残り時間40秒で8ポイントビハインド。
敗戦がほぼ確実と言った状況でした。
実際に多くファンがスタジアムを後にしていましたね。
ここからマクグレディが怒涛のスーパープレイを連発します。
まず、自分でボールを運び3Pを決めます。
さらに次のプレイでも自分でボールを運び
スクリーンを使ってディフェンスをかわし、ヘルプに来た
ティム・ダンカンのファウルを誘いつつ3Pを決めます。
もちろんフリースローも決め、4ポイントプレイ。
そして次はインバウンドパスをもらい
ドリブルをついてから3Pを決めます。
最後はスティールから一人でボールを運び
そのまま3Pを放ち、決めてしまいました。
結局試合は81-80でロケッツの勝利。
35秒間で13得点を挙げるなんて考えられせんね!
しかもスパーズ相手ですからなおさら驚きです。
足早にスタジアムを去ったファンは
この逆転劇を見逃して悔しくてたまらないでしょうね。(笑)
以上、T-MACの奇跡の大逆転劇を紹介しました。
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最後までお読みいただきありがとうございました!
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